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幸せな家庭のカタチを考えるブログ

動物を飼うと命の大切さは理解できるのだろうか

 

動物を飼うと命の大切さを理解できる

 

恐らくそれがきっかけではなかったが、僕が子どもの頃、家にはたくさん動物がいた。物心ついた頃にはネコが12匹いたし、スナネズミが5世代くらい繁殖して3桁以上いたし、庭には2×2×2×2羽ニワトリがいた。

 

誤解しないでほしいのが、僕の家は大きくも裕福な訳でもない。家は川崎市の郊外にあるごく普通の一軒家だ。

 

母親は癒しを求めて、動物を増やし、その結果ポケモン全種類集めても超えられないくらいの数を育成していた。

 

僕はその育成を手伝いながら、恐らく何百という命とお別れをしてきた。庭はどこを掘っても骨が出てくる。未来の歴史学者に多大なる思い違いをさせるであろう事を今お詫びしたい。


ちなみに自分のためも兼ねて、自分の担当のみ振り返りたい。下記の通りである。

 

イヌ、ハムスター、ミニウサギ、フクロシマリス、ミルクスネーク、イグアナ、ミドリガメ、リクガメ、アジアウキガエル、クランウェルツノガエル、クツワアメガエル、タケコウモリ、シマクサマウス、文鳥、インコ、カラス、ニワトリ、烏骨鶏、熱帯魚諸々、コリドラス、プレコ、ポリプテルス、イソギンチャク、フジツボ

 

失礼な話、全て思い出せたか自信がない。でもみんなかわいかったし、とても好きだったはずだ。正直「命が大切である」事を理解できた深度は失った命に比べて不十分だ。

 

動物は命の大切さを知るための学習ツールではないし、命の大切さを理解するきっかけに過ぎない。そのきっかけを自身の価値観にするのは本人の意識であり、親はその支援をするための環境を提供するのだろう。

 

動物を飼うと命の大切さが理解できる


その答えが正しいかはわからないが、僕は今でも命を奪う事に躊躇している