「はじめての短歌」を読んで機械からセイチョウする
私は昔から同僚・友人・家族・交際相手に「機械みたい」と言われる事が多かった。きっと正しいことは相手が嫌がっても伝えた方がいいし、感情や思いやりといった非効率はできるだけ排除すべきだという価値観によるものだと思う。
この本はその正しさと間違いに気付ける本だった。
生きると生き延びる
この本「はじめての短歌」では良い短歌とその改悪例を取り上げながら、「生きる」「生き延びる」という概念に基づいた短歌の解説をしている。その概念について、私の独断でまとめてみた。
生き延びる :合理的・具体的・多くの人にとって価値があるもの・代替可能な役割
生きる :非合理的・抽象的・誰かにしか価値がないもの・代替不可能な役割
仕事においては「生き延びる」価値観の方が正しいことが多いが、和歌においては「生きる」方が良いそうだ。例えば下記のような感じだ。
- 課長代理は存在するけど夫代理って嫌
- くす玉の残骸、に価値はないけど、確かに感じるものがある
「生き延びる」一律の価値観で生きていた自分
私は「生き延びる」こそ正しく、従来「生きる」価値に目を背けていたと感じた。
これは最近カウンセラーに言われたアドバイスにも繋がっていた。私は人間関係の悩みを自力で解決するべく、色んな本を読み取り組んできた。しかし中々効果が出ないことを相談したのだ。
認知療法とかアンガーマネジメントはこの問題には有効ではないかもしれない。今のあなたに必要なのは、相手に気持ちを伝えることだ。
苦手なことシンプルにタスク化して取り組む。これは生き延びるスキルとして有効だ。相手の発言にイラっとした時にアンガーマネジメントしたり、そもそもイラっとしないように自身の認知の歪みを認識して改善する。
でもそんなことよりも、私の気持ちを相手に伝えることの方が大事だと諭された。
この本を読む前の自分だったら「自分の気持ちを伝えることで得られる価値って何?」とか「その結果、何が起きるかわからないしリスクしかない」と思っただろう。でも「生き延びる」ことだけが正しい訳ではないのだ。抽象的でも裏付けがなくても私が相手にとって代替不可能な存在である時、私の気持ちを伝えることは大事なことなのだ。
「生きる」ことは仕事でも大切だった
この本を読んでから、同僚の相談に乗る機会があった。その時に私はいつもは伝えないようなことを伝えた。
全く解決には繋がらないけれど、あなたのことをとても信頼しているから、あなたの決断を支持する。何かあったらいつでも頼ってほしい。
少なくとも同僚には感謝をされた。私も何か変わった気がした。
私はもっと「生きる」ことでセイチョウできると感じた。
お礼
最後に、何故短歌に興味のない私がこの本を読んだのかを説明したい。私が参加した本「セイチョウ・ジャーニー」の感想ブログに紹介されていたのだ。
▽セイチョウ・ジャーニー
▽イエロートマトさんの感想ブログ
改めてこんな素敵な本を紹介してくれたイエロートマトさんへの感謝を記したい。